よみもの

古民家というのは昔と
ずーっとつながってる。

早島のあの人

いかしの舎に早島町観光センター、町内には古い建物を活用した施設がいくつもありますよね。 数十年、あるいは百年以上も昔の建物を、大切に次の時代に受け継いでいく古民家の再生。
そんな「古民家再生」を、早島町を含め、全国で続けて来られた佐藤 隆さんに今回はお話をお伺いしました。

古民家は当時、 時代錯誤に思われた

 古民家で代表的な作品は、いかしの舎を設計をさせて頂いたのと、観光センターとか。古民家再生工房を6人で立ち上げたのが35年前の1988年。当時はスクラップアンドビルドいうてね、倒しては作りいうような時期なんで、そんな時に古民家再生をやるのは時代錯誤のように思われたフシもあるんです。
なので、最初3年ぐらい仕事なかったです。思案してたところにいかしの舎の話が持ち上がって。とりあえずどういうものに使うか?設計の前段階を考えて欲しいと。倉敷とか観光地なら商業施設にするとか、そういうやり方もできるんです。
でも町の事業やし、建物もできるだけそのまま残して、こどもからお年寄りまで、みんなが使えるような施設にするのがいいんじゃないんか。これを6 人の共同設計でやろうと。

やっぱり古民家が好きだから やりょうると思うんです

僕らは、戦前に建てられた家屋を、古民家と呼んでるんです。戦後は、構造的には、基礎がコンクリートで、接合部分がボルトとか金物使いますよね?手法が変わってるんです。昔は物を大事にするというか、材料なんか高いから、むやみに捨てずに古い材も活かして使う。今は材料も人件費も高いですよね。だんだん建築物価もあがってなかなかできないんですよ。
じゃけど耐震なんかも、木だけで組んでるのは揺れますけど、倒れにくいですね。粘りがあるというか。でもそれを今の公共建築でやろうとすれば、耐震補強の問題が出てきたり、火災の問題とか、色々あるんでできないです。ただ、この時代はまだできた。なんか東京のほうで事件が ありましたよね。それから基準が変わってきたんです。
じゃから観光センターは難しかったです。全部移築ですから。建物全部を分散させて、構造的に区切って、地震が来ても振動が伝わらないようにしてるんです。それでクリアさせたんですよ。
いかしの舎をやったことで、建築学会賞をいただいて。展示会をしたり、雑誌に出さしてもらったりで結構PRになった。これをきっかけに忙しくなりました。青森から九州まで6人で古民家を千軒ぐらいはやっとると思います。岡山は割と少ないんですよ。気候風土が良いところは立替えてしまうので、古民家が残ってないんです。
 大阪に10年ぐらい住んでたんですけど、田舎へ帰った時の解放感というのか、年を取るに従ってだんだん良さが分かってくる。そういう生活してみんとわから んのんよね、人間は。店舗設計をやってた当時は、ほとんど2、3年したら改装したり、すぐ壊すんです。壊すことを前提に作るとかちょっとむなしいでしょ。対して古民家は昔から続いていて、その途中で改築されたり、色々形を変えながらも、ずーっと繋がりがある感じがするんですよね。そういうものには深みもあるし惹かれます。
 お金のことを言うたら、こっちの方が手間がかかるし、最初からやりたがらない方も多い。だけど若い人で、これから木造をやろうかいう人もいるみたいでね。ぜひこういうのを、残してほしいなと思います。
 早島もまだまだ古い建物の残るまちですから、これから古民家も空き家で出てくると思うんです。できるだけ残してやってほしいですよね。お店をやってもらうとか、住宅でも良いし、なんかやっぱり空き家のまま放置するんじゃなしに、 利用して欲しいですよね。このまちへ人が集まるような面白いものをつくってくれるといいなと、僕らは思うんじゃけどね。

プロフィール

佐藤隆さん

1945年生まれ。 1960年佐藤隆建築研究所設立。 古民家再生工房にて「いかしの舎」共同設計

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