よみもの

写し続けた、早島の笑顔

早島のあの人

修学旅行や卒業式、七五三や結婚式など、行事や節目といった 「特別な日」に写真は欠かせないものです。
早島町には、そんな数多くの「特別な日」を撮り続ける小さな写真スタジオがあります。
創業以来90年以上にわたって、写真を通して切り取り続けてきた早島。
今回は、そんな写真館を裏側で支えてこられた佐藤加代子さんと佐藤正子さんに お話をお聞きしました。

親子3代、その撮影の裏側で

加代子さん(以下K): 私が昭和6年生まれの今90歳。早島生まれの早島育ち。ずーっと早島。
正子さん(以下M): 加代子さんの旦那さん2代目なんです。初代は電気屋さんみたいな手先が器用な人で、写真好きが高じて、写真を始めたんだって。その人がやり手でその一代で栄えたんだそうです。前のスタジオもずっと継ぎ足し継ぎ足しして来たけど、建てた当時、洋館のお店は珍しかったと思いますよ。
K :前の店も建ててから、何回か中を変えとったなぁ。店には誰かがおらにゃおえんから撮影に主人が出て、帰ってきての仕上げは私がしょうたんじゃけどなぁ。白黒の頃は、手焼きした写真を一枚ずつ新聞の上へ干していって、しわった写真をまた一枚一枚伸ばさにゃあいけんの。じゃから修学旅行の時期はそりゃあ混んどって忙しかった!
M :台紙貼りは、お義母さんもまだやってます。今でもチェックが厳しくて。ちょっとおかしいところ見つけるのが上手。
K :めんどくせえことばぁ言よんじゃがな、ふふふ。老眼鏡かけてしょんよ。前はな、私の主人が撮影に行っても床柱がちょっとでも歪んどったら、おじいさんがすぐ言うんじゃ。よう気にしょうた。
M: 当時は家での結婚式も多かったので、床の間を後ろにして撮ることが多かったんです。
K :今はバック紙の前で写すから、いがんどるもなんも分からんな。
M: ほんとに写真の方でも時代がものすごい変わって。昔は修学旅行とか、写真を1枚ずつ展示して学校で見せるじゃないですか。それを子供たちが封筒に何番とか書いて。それを全部正の字で集計だったんですよ。何百枚もあるでしょう?カレンダーを2枚ぐらい貼り合わせて、ずーっと正の字で集計してたんですよ。
K :今はなぁ、デジタルでぱっぱっぱっと写すけれども。当時は全部手作業じゃからな。
M: で、プリントができたら今度は写真の裏に番号を全部書いて、それを家中にバーッと広げて、その子が買ってる番号を取って入れてたんですよ。違う学校のと混ざったらいけないから、もう全部の部屋を使って。
K: 時期が一緒になるもん、どこも。

佐藤写真館的いい写真とは?

K :まぁ笑顔じゃろうなぁ。風景でも子供やこう動きのあるようなのは、いいなぁと思うよ。けど、笑顔がいちばんじゃな。
M :やっぱりおじいちゃんおばあちゃんとかね、みんなで写ってる写真はいいなぁと思うし。そういう写真は残してほしいなって思います。
K :結婚式のような記念する時は、だいたい残っとろう?
M :毎年写真を撮ってくださる方もいるし、イベントごとの人もいるけど、でも家族写真や大切な写真は形にして残しておいて欲しいなって思います。写メで撮って、スマホやパソコンに取り込んでる人も多いけど、仮にデータが全部パーになっちゃっても写真があったら、そこから複写もできるし、データおこしもできるし。写真にしとけばよかったって話もずいぶん聞くから。だから、写真にして残して欲しいなっていうのは思います。
★仕上げはこれからも?
K: そうじゃな。仕上げはちょっと見たいなと思う。反面、2階が仕事場になったからな、足を壊してから、2階上がらんのんじゃ、余計気にはなるん。
M :頭がほんっとによく働いて、私たちが浮かばないようなことを思いつくし、常に考えてるんでしょうね。それも若さの秘訣じゃないかと思います。
K :そうじゃろうか。笑
M: お義母さんも、元気でいつまでも、生涯現役で頑張って欲しいです。

プロフィール

佐藤正子さん  佐藤加代子さん

佐藤正子さん 1956年生まれ。スタジオ歴42年の大ベテラン。
佐藤加代子さん 1931年生まれ。スタジオ歴70年の超・大ベテラン!
※スタジオカメラサトウは2020年3月に「佐藤写真館」としてリニューアル・移転をされています

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