よみもの

自然に、普通に、
人生の中で
いぐさを見てる

早島のあの人

「早島町花ござ手織伝承館」では、花ござ手織の技術を、今もなお未来へと紡いでいます。 次世代へと伝承する技術の担い手として溝手愛子さんにお話を伺いました。

手織り伝承館に通い続けた3 0年と 受け継いだ大切なバトン

もともとは布織りをした かったんです。倉敷の民芸館の とこの、本染研究所にも見学 に行ったんですよ。だけど、よ く考えたらすぐ手元にもあっ たなと。とにかく手先を動か すことが好きだったから、前 任の安原さんに引きずられ るように手織を始めて。メン バーがいいんですよ。楽しい。 それで、気づいたら30 年。  そのうちに代表の安原さん が、体が大変な時もあるから、 会議にでたり色々ある用事 を少しずつ手伝う形でもいい かな、から始まり恐る恐る その役割を引き継ぎました。 前に何人かおられたんだけど 辞められてて。ただ、安原さん がすごい頑張ってこられてた のを見てたから。でも、私自身 が不安でしょうがない笑。  私ね、福山で育ったんです よ。福山もその頃は家から学校 に行くまでがずーっと見事な いぐさの田んぼだった。もう 70年 近 く 前 で 、 今 は 全 部 家 に なってるけど。だから、どろ染 めをしてる風景とか、おじい ちゃんたちが作業してるのを 見ながら学校の行き帰りに 自然といぐさ見てたんです。  私たちのちっちゃい頃は年 末には、畳屋さんが来て庭で 畳替えをされていて、庭に畳 を出して、それを職人さんが 庭で縫うの。大掃除の時なん かは三角に立てて、叩いたり もして。昔はそういう風景が あった。畳あげたら新聞紙 敷いてるイメージあるでしょ。 床に新聞紙ひいて、その上に 畳敷いてたり。早島も以前は一 年中トラックが走り回ってい て活気があった。  最近の家って畳がないで しょう?でも昔は、畳に障子 に、それしか無かった。特殊な 家なわけじゃくて、それが 当たり前だった。だから結果的 には、自然に、普通に、人生の 中でいぐさを見てるんです。

次の世代に 楽しく繋げたい

織機はもう本当に息も絶え 絶えに動いてる。前任の安原 さんがスタートした頃には、 綺麗なのがまだ織れたんで すって。それが、今ではなかな か難しい。ここの織機も、もう 120年以上は使われてるの かなぁ。メンテナンスが大変で、 あちこち釘打ったりしながら 使ってるから、いずれは動かな 言うて帰っていったんです。 教えるほうもみんなが喜んで、 そういうのが本当に嬉しい。 古い織機もなんとか綺麗に 織れる状態を保っていけて、 楽しく続けていけるような 状態にできたらいいなと。 体験したり、古い織機を見た りして花ごさを知ってもらい、 次の世代の人にも繋がって いけたら、それが一番いい。  結局、私がやりたいんです よ。家でも織ることを考えて るの。お前何しとるんかて 言われながら。なんかこう、 手で好きなことして、どんなん なるかなーって考える。それ が楽しいの。だから本当は 織るだけをしていたい笑。

プロフィール

溝手愛子さん

1948年生まれ。 1993年よりござの手織を はじめ、2023年より、早島 町花ござ手織り伝承館 代表のバトンを受け取る。

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