よみもの

人生そのものが、
い草の傍らに

早島のあの人

早島のことを語る上で切っても切れない「い草」のお話し。 なかには、子供の頃からずっと傍にある方もいらっしゃいます。 永原兼太郎商店の永原耕吉さんもそのお一人。 今回は、永原さんにい草とこれからのお話をお伺いしました。

生まれてこのかたずーっと、い草

 本当は広告会社へ行きたかったん。コマーシ ャ ルの仕事をしとうてね。それで、そっち行こうと思うて段取りしょうたん。そしたらある日、親父から電話がかかってきて「もう1年経ったらお前卒業するから、来年、熊本へ支店建てるから卒業したらお前そっちに行けぇ」いうて言われて。だから熊本に2年間おった。家建てて、倉庫建てて、事務所作って。その当時まだ畳の業界もどんどんようたし、親父がそう言うけぇね、そりゃもう、仕方がねぇが。「はい」言うて行った。笑 結局、八代弁はようわからんかったし、いも焼酎はぼっこうよう飲まんかったけど。笑  生まれてこのかた3歳の時からいぐさのごみの中に頭突っ込んで遊びょうたもん!ここら中の子供たちみんなそうよ。 作業場でいぐさのごみがたくたくさん出るが。 あん中にガーンと頭突っ込んだりしたりして。3つ4つぐらいの近所の子どもは皆んなわしと一緒にあそこで遊びょうたから。  じゃから、家業に何の抵抗感もなかったし、高校生の夏休みやこうの時には、うちの支店長と一緒にトラック乗って高知まで入札行っとった。 入札は支店長がすんじゃけど、当時は瀬戸大橋もなけりゃあ、高速道路もないよ、じゃからフェリーで渡って、大歩危小歩危を超えて、 それも日帰りじゃから朝5時ぐれえに出て帰ってくりゃ夜中じゃわ。

ガキの頃から触れとるから い草の香りや違いは感覚でわかる

 こげな所で生まれとるもんじゃけぇもう、生まれてこの方ずーっとい草じゃもん!ヘじゃぇ、い草の違いは目隠しをしてわかるんじゃ。 香りでわかる。 ガキの頃からい草の中に頭突込んどるから「匂い」いう感覚ができとんじゃ。昔の日本のい草は、低温乾燥である程度長時間かけて乾燥させる。じゃけど、中国産のい草いうのは高温で、短時間でいぐさを乾燥させようとして、80度以上の高温の熱風を一気に送るから、日本のいぐさに比べたら熱が加わり過ぎた匂いがするん。じゃから目隠ししとっても、中国のいぐさと日本のいぐさとで、どっちがどっちか今でも分かる。そりゃ、 感覚、頭で理解するんじゃない皮膚感覚で理解しとるから。肌で感じるいうやつ。 そうでなかったら分からんと思う。  じゃけど、もう何年かしょうたら民芸品の世界になるんじゃねんかな。10年もつかなぁ。和室がだんだんのうなっていって、畳やいぐさそのものが日本から忘れ去られていくような感じになっていくからな。どうしたもんかいうて試行錯誤しながら、いぐさの脱臭効果を生かした商品を開発したりもしとるんよ。臭いや過敏症で困っとる人は多いから、なんとかしたいと思うんじゃ。

若え人から学ばにゃあいけん

今の時代に合うたように物事を変えていかにゃあいけん。 今の若い子は頭がええで。 常にそう思う。 頭がええなあと思う。 じゃから早島も、 今の30代40代がこっからどういう風に変えていくか。 それは今のそういう若い人が作って行かにゃぁいけん。新しゅうに。それを思うんじゃ。  年寄りの言う経験値が参考になるんはええけど、その経験値が害を及ぼすということがあるから。その辺はわしらもよう考えにゃあな。参考になることもあるよ。あるけど、まぁ半分半分か。半分は参考になるけど、半分は悪影響になる。そんなもんじゃて。だから我々の知識じゃとか経験値じゃとか技術じゃとか、そういう風なものを若い人がどんどん取り入れていってくれて、新しい早島を作っていってくれりゃあええんじゃ。  

プロフィール

永原 耕吉さん

1953年生まれ。 永原兼太郎商店に入社後、半世紀にわたりい草業に従事。

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